ARCHIVES

【レポート】VTC/VTS 日本上陸30周年記念フォーラム:対話型鑑賞のこれまでとこれから

2022.09.04

MUSEUMEDUCATIONBUSINESSOTHERS

概要

8/20 & 21に東京国立博物館平成館大講堂で開催された、「VTC/VTS 日本上陸30周年記念フォーラム:対話型鑑賞のこれまでとこれから」が無事終了しました。
当初現地参加者は会場150名、同日配信延べ300名を予定していましたが、実際は会場164名(+ご招待29名)、配信延べ数1151名、参加総数は延べ1300名を超える盛況となりました。沢山の皆さまにご参加いただきましたこと、心から御礼申し上げます。
特別助成を下さった公益財団法人石橋財団、文部科学省をはじめご後援を快諾してくださった5つの団体、ご登壇いただいた18名の皆さま、フォーラム事務局メンバー、そして当日会場アシスタントを引き受けてくれた卒業生たち、本当にありがとうございました!!!
今回のフォーラムが、対話型鑑賞の今後に物議を醸し出し、議論のきっかけとなり、波紋を呼び起こし、そして対話が始まり続いていくことを、心から願っています。

アートコミュニケーション研究センター 所長 福のり子

---
★後日配信版、発売決定★
たくさんのご要望にお応えして、後日配信版の準備を進めています。詳細は決定次第、WEB・SNSにて随時情報公開します。お見逃しになった皆様も、当日ご参加いただいた皆様もぜひご活用ください。

価格:各日1,000円・2日間通し2,000円
発売予定日:10月29日(土)
※配信プラットフォームは未定です。

---

▼事後レポート:近日公開予定

 


 

参加者の声

フォーラムにご参加いただいた皆様から感想や反響をいただきました。その中からいくつかご寄稿いただいたコメントをご紹介します。

 

---

オンラインで当日聞いていたり、見逃し配信で後から聞いてみたりして、ようやく今日見終わった(聴き終わった)。
対話型鑑賞が日本に導入され30年の歴史や全体像を公式な場で語られることにまずは大きな意義があるんだろうなとシンプルに思った。歴史的な転換点の現場に携わった人たちによる生の証言や、さまざまな現場で対話型鑑賞を取り入れる当事者の方々の声や活動報告、そして、現在地点の警鐘や課題点までを指摘する包括的な内容だった。
美術(アート)を美術以外の社会に広げる、繋げる。もしくは美術に関心をもってもらえる人を増やす。
そういう理念のもと、普及やエデュケーションとして導入された対話型鑑賞の手法だが、近年では手法そのものの可能性に美術以外の人々が注目し始めている。(この時点で少し問題がズレているというか、時代の変化というか)
となるとこれはこれでややこしく、美術の話をするのか、対話の話をするのか、その場をホールドする技術(ファシリテーション)の話をするのか、といった論点整理や、話題が自然と混ざりながら進んだりするため、聴く側も「いま、何の話題でどの論点について喋っているのか」ということはわかっておかないと、ちょっとしんどいフォーラムだったかもしれない。
・美術側の声
・それ以外の領域で取り入れている側の声
・ファシリテーション側の声
上記のそれぞれの立場のゲストが登壇されたわけだけど、今回収穫あったのは美術側からの懐疑的な意見というか鑑賞することへの明快な整理が提示された「対話型鑑賞の功罪:美的知覚の観点から」森 功次さんのレクチャーだった。レクチャー後半や後のトークセッションでは、発言に少し偏りも感じられたけど、対話型鑑賞における誤解(もしくは浅い受け止め方)「何言っても良いですよー」「作品の見方は人それぞれ自由ですから」的な価値観に「それは違うよ」と言っていたのと、「なんでも良いじゃない。意見が対立してからが大切」という発言を論拠だてて言ってくれてたのは、賞賛しがちなフォーラムでは大事な存在じゃないのかな。なにより森さんはちゃんと自分の立ち位置を整理して伝えていたし。
なので、美術側の意見は諸々あったけど、かなり多角的に出ていたと思う。いつも対話型鑑賞の話題はどこかつくり手不在感を感じさせるけど、そのへんは森さんが代弁していたんちゃうかな。
それ以外の領域からの話題は、なぜ対話型鑑賞を取り入れようと思ったかの背景が各々もう少し見えればよかったなあ。本当は対話型鑑賞を取り入れたことによる効果や成果を聞きたいのだけど、それは中々実証しにくいわけだから(特に教育)、取り入れる前の状況の説明(課題感)に加え、何を期待したか、みたいなことがもう少しきければな、と。現場でどういう工夫をしているかの話も興味深かったけど、課題感のもと、解決しそうなヒントや糸がかりを対話型鑑賞のどこに感じたかを言語化できるだけで、充分に対話型鑑賞のポテンシャルをのぞかせたとも思うから。もしくは従来のやり方の頭打ち感だけでも。
ファシリテーション側の声としては、初めて(ではないかもしれないけど)、伊達さんが今の流行めいた現象の課題をズバリ指摘したんちゃうかな。鑑賞者としての体験とファシリテーターとしての体験は、対話型鑑賞はまったく別次元だし、アート作品を題材にして対話型鑑賞するなら、せめてその作品に関する専門知識、文脈はしっかりと理解した上でやってほしい。なんとなくお手軽ファシリテーター体験的に対話型鑑賞を使ってる人が多そうだなあって思うけど、手ぶらで30分〜40分というショートショート対話時間をホールドするなんて、そうとうファシリテーションインナーマッスルがないとできないはずです。その点で言うと、対話型鑑賞に関するファシリテーションへの言及はまだまだ発展途上と思ってます。
色んな話題があったフォーラムだけど、今はシンプルに対話型鑑賞というスタイルがなぜ美術から出てきたのか、ということを見つめたいなあ、と。フォーラム中、何度も「アート作品じゃなくても対話型鑑賞はできる」という発言はあったし、自分もそう思うけど、なぜこのメソッドが美術から出てきたのか。他の領域では出てこなかったのか。ここを考えることが美術ないしは美術作品というものの特徴を捉える一因になるんちゃうかなーと思った。

 

---

 

オンラインで視聴したコレ。福さんのせっかちぶりも含めて懐かしいやらドキドキするやら。
福さん、逢坂さん、黒沢さんの話で振り返る30年。これってそのまま私が現代美術やアートライターとして関わってきた時代で、バブルから「冬の時代」に突入したからこその、新旧がせめぎ合うエネルギーにアート界が満ち満ちていたなーっっと。関西から夜行バスで水戸芸術館について、モーニングを食べながら開館を待っていたその空気も思い出しました。
対話型鑑賞、ACOPに関しては、今このタイミングで勉強し直したい。
「すでに知っているものと想像しているもの、アーティストが表現するものと、作品を見た私たちが表現するものとが、不思議に混じり合って人々の中に形成されるものなのです。」と福さんの言葉をサーチライトにして、アーティストがいること、アート作品であることを、もうちょっと照らしてみて考えたい。スポットライトじゃなくて。暗がりに置いておかないで。
卒業生の原泉と似内達吉の発表が聞く人のことを想像してのパワポ準備と声の出し方で素晴らしかった。感服。
明日もある。

2日目。長い!濃い!圧倒的!
個人的には昨日よりさらに自分の興味に近づいていて面白かった。情報量が多すぎるので簡単メモ。
臼井さん:「ビジネスからアートへの貢献が十分なのか。→ビジネスの知をアートの運営、組織に還元できるのではないか。」
これをぜひ! 実現していただきたいし、その現場に入りたい。その一つの例が東京都写真美術館の福原義春(資生堂)の館長起用だろう。本当に、まともなビジネスからアートへの応答の実例がもっとあっていいはずだ。
圧巻は、最後の伊達さんレクチャー。すんません、同僚なのに初めて聞くことも多かったです。それに対する森さんのツッコミもさすが。伊達さん、早く本を書いてください。
功罪あったとしても、対話型鑑賞をめぐって、これだけの人が熱く、冷静に、30年もやり続けている。対話型鑑賞のその先に、美術館、集団・コミュニティの在り方の理想がある。正しさじゃなくてね、この人たちには見ている先がある。
一方で、この30年で、日本のダメっぷりはどういうことなんだ。とも思う。30年前に夜行バスで水戸芸術館に行ったあの高揚感、金沢21世紀美術館開館の目が覚める感じ、大地の芸術祭の野心ぶり。あの若さのままで、私自身も日本も今はいられない。こんなにも厳しい人口減少、過疎と財政難の中で、家々の不安と人々の貧しさの中に、私たちはいる。美術館も美術も対話型鑑賞もいる。芸術祭もアートプロジェクトも、ここにいる。
福さんが京都にいた頃。秋葉原の殺傷事件が起こってニュース見ながら福さんは「この人に何かできたんじゃないかと思うとたまらない」と本気で言ってた。それから30年たった。事件は起こり続けている。
シンポジウムの熱の外側がどんな風景なのか、その熱を持ち出せるのか。
熱が冷めても、老いながらでも、なんとかまあやっていける外側の風景を見たい。その仕組みに関心があることに気づいた。

開催年月日

2022年8月20日(土)、21日(日)

開催場所

東京国立博物館 平成館大講堂

実施者

福のり子、伊達隆洋、運営事務担当:吉原和音・北村英之